大江慎也&The Roostersの軌跡

その昔、ルースターズというバンドがあって、SからZに変わって、大江さんが復活して・・・

大江慎也への想い入れ (3)


ロックンローラーでしかない / Inoueさん (2000.03.04)

色んな方の、大江に対しての想い・・・
俺もまた、人とは違う想いを持ってます。

Roostersは東京に来た当時からお気に入りのバンドで、
年中ライブに行ってました。
あの狭いロフトで、フロント3人がジャンプしまくっている姿が、
格好良かった・・・
野音で当時よくやってたイベントでは、大概トップで出てきて、
あっという間に腰を浮かせてしまう、Roostersは、そんなバンドでした。
俺が聴いていたのはせいぜい「C.M.C」あたりまで、圧倒的な
疾走感が大好きだったから。

俺も当時バンドをやっていて、少なからずも影響を受けていた。
そして、今のカミサンも某バンドで歌っていて、更にRoostersの
手伝いみたいな事もしてた、大江が好きだったのね、彼女。
俺と付き合うようになってからも、たまに大江の相談に乗ったり
してたみたいで、ジェラシーを覚えたモンだった。若かったからな~

そのうち俺達も、自分のバンドの事で忙しくなって、結婚したりもあって、
段々大江、Roostersとも縁遠くなっていった。
風の便りで聞く大江の話は、いつも「病気なんだってよ」って話ばかりでさ、、、

俺にとって、Roostersは大江だったし、そいつはいっつも俺を悩ませる
イカしたロックンローラーだった。
俺もバンドを辞めてからかれこれ10年経つけど、たまに会う古い
知り合いに「アレ~?生きてたの?」とか、「イギリス行ったって
聞いてたけど~」とか、ようわからん噂が流れてる。
でも、俺はいまだに音楽創ってるし、これから先も音楽家として
生きていくんだ、誰も知らないだろうけど。

大江をシドバレットにするのも面白いけど・・・きっと音楽やってるよ、
本当の音楽家ロックンローラーだと思うもん。
農業してても、家作ってても、点滴打ってても、本読んでても
ロックンロールっていうのは、そういうもんだから。

 

■エピソード / HIROさん (2000.01.18)

ぼくが中学生のころ 行ってた 小倉の"北九楽器”という店で、
大江さんが当時バイトしてて よくギターを教えてもらってました。
ある日、僕か゛図書館から借りていた ミック&キースの 伝記っぽい本を
北九楽器で読んでたら『それ、ちょっと貸しとってくれん?』(北九州弁です)
というので 又貸ししました。 
熟読してたのか なかなか戻って来ず、催促して返してもらった時は
本の中ほどに たこ焼きがはさまってまして、図書館に返す時に
困ったことを覚えています。
まだ バラ族が解散して、人間クラブが出来る前の頃です。

井上さんは 僕の兄と同級生で一緒に バンドをやっていたし、
(アマチユアでしたが)そのバンドには かの DDマルヤマさんが
ボーカルをやってました。
当時の彼らのフェイバリットは やはり サンハウス、もちろんストーンズ
それからラモーンズの影響も大きかったと思います。
他にもいろいろエピソードはありますが、当時の大江さんは
本当にやさしくてやっぱりカッコいい人でした。

 

■Some memories about Shinya Ohe / 大滝さん (1999.12.19)

今年の4月に発売されたルースターズのトリビュート版がきっかけになって、
数年ぶり(?)に私の10代を語るのに必要不可欠なところの大江君の音楽が
聴きたくなって、かろうじて手元に残っていたルースターズのレコードを
聴きまくっておりました。
そんな折り、偶然このHPを見つけまして。。。
今更ながらインターネットって凄いんだなぁと(笑)。

私の10代の頃の大江君への思い入れは、自分で言うのもなんですが
相当なもので、多分彼に、彼の音楽に出会わなければ、私の人生は
もう少し平凡なものだったろうと思います。
あんなに心を持ってかれるミュージシャンに、あれ依頼遭遇しません。 
まぁ、ちょうど様々な事物を、とてつもない勢いで自分の中に取り込んで
しまう年頃だったのだなとも思いますが。

私が大江君のライブを見始めたのがDISの頃で、実はその2年程前から
ルースターズのレコードは聴いていましたが、諸々の事情でライブを
見始めたのは、本当に大江君がルースターズからいなくなる直前だったのですね。
新宿Loft 5 Daysとか、毎日行きましたよ、体力あったなぁ(笑)。

日帰りするつもりで筑波までルースターズのライブに行ったこともありました。
あれは、84年?85年だったのかな。
行ってみたら、最後まで大江君は会場に現れず、花田君が代わりに
慣れないボーカルをとっていました。 
あれからルースターズに大江君が戻ることはなかったと記憶しています。

その後、ソロで復活した大江君を最後に見たのは87年のツアーだったと思います。
秋に明治大学駒沢大学と学園際で続けざまに。このHPのどこかにも
記述があったと思いますが、あの年の大江君はとても酷い状態で、
見ているこちらが罪悪感に襲われる程でした。

それがRookie tonightとHuman beingの頃で、その後大江君は休養に入って、
再び復活した後は私は大江君を避けてしまいました。
再復帰した大江君に、音楽的部分では残念ながらちょっとがっかりして
しまったのだと思います。。。
がっかりして、裏切られたような気分で、悲しいけれど避けてしまったのでした。
そして、そのまま現在に至っています。
ここ数ヶ月久々に聞いているのは、私の中でルースターズの旬だったと
思っている、InsaneからDISへ至る頃のものです。

 

■ジャパンでの大江さんのこと / yukiさん (1999.09.23)

ロッキン・オン・ジャパンの大江慎也のインタビューを読みました。
もう何遍読んだか分からないぐらい、繰り返し読んでいます。

ルースターズがデビューした時、私は小学生でした。
だから、リアル・タイムでルースターズを聴いたことがありません。
でも「ロージー」を初めて聴いた時の衝撃は今でもはっきり覚えています。
80年代初頭に、日本にもこんな素晴らしいバンドが存在していた、
という驚きもあったのですが、なによりも大江慎也のボーカル、
曲、詩、全てが衝撃的でした。
(だから、私にとってのルースターズは、大江慎也がいた時までに
なってしまうのですが・・)

それから、ルースターズを狂ったように聴き続け、大江慎也の存在は
私の中で特別なものになりました。
もし、隠遁生活に入る前の大江慎也を目の当たりにしていたなら、
「彼は、もう過去の人だ」と諦めることができたのかも知れません。
でも、その頃さえ知らない私はずっと、いつか戻ってきてくれると
信じてきました。
だから、今、曲を作れずにいる現実、そしてずっと引きずり続けてきた
精神的な痛手を知って、とてもショックを受けています。
彼は、ずっとこんな風に苦しんできたのでしょうか・・。
それではあまりにつらすぎます・・・

ただその現実を知った今でも、私はやっぱりルースターズにこだわり続けるし、
かすかな希望をもって大江慎也の復活を願っています。
アルバムも出ましたが、ルースターズをリスペクトするバンドは
たくさんあります(特にガレージ・シーン。ミッシェルのDo The Boogieは
カッコ良かった)でも大江慎也ほど「カリスマ」と呼ばれるのにふさわしく、
才能のある人間は現われないでしょう。
時代錯誤といわれても仕方ないかもしれませんが、私はそう信じています。

よく知りもしないのに偉そうに、と思われるかも知れませんがリアル・タイムで
彼らを知ることのなかった人間にも、これだけ多大な影響を与えているんだ、
ということを知ってほしくて書きました。

 

■ロッキン・オン・ジャパンの大江慎也インタビュー / KY(1999.09.29)

私は大江慎也が在籍していた頃のルースターズが大好きです。
特に疾走感のある初期のルースターズに強く惹かれます。
当時のルースターズを生で見たことはありませんが、音源を聴くと
強烈な印象を受けます。

私は大江信奉者です。 私は大江との関わりを断ち難く、何らかの形で
繋がっていたいと思い、このWeb pageを始めました。
Web pageをやっていると大江の情報が寄せられることがあります。
しかし、その多くはガセネタとも言える情報で到底信じ難く、
信頼すべき大江情報を欲していました。

そんな折に大江慎也のインタビューが雑誌に登場しました。
本当に久しぶりの登場です。
内容は非常に重いものでした。 と、同時に安心しました。
何故なら、昔は口を開くのも一苦労だったのに、今回のインタビューでは
聞かれた事にはしっかり応えていたからです。
時には饒舌なほどの話し振りには正直驚きました。

I'M A KING BEEの発売などで現在でも大江さんとルースターズとの
繋がりがあるという事を知ることができました。
大江さんが我々と同時代にしっかりと生活しているという事実に満足しています。 
だから、もう復帰がどうのとか、そういう事はどうでもよくなりました。

 

■大江さん、お元気ですか / 野崎さん (1999.5.12)

ルースターズについてこれだけのホームページを作成されたことに敬意を表します。
何気なくインターネットで「roosters」を検索したら、
このページに出会いました。
ディスコグラフィーを見て、もう解散してから10年以上もたっていることに
改めて感慨深く感じます。

高校時代からルースターズを聴いていましたが、LPは全て実家に置いて
きたため、今、手元には何もありません。 
ただ、高校から大学にかけて、強い印象を受けたバンドはルースターズです。 
特に、大江が壊れ始めた「INSANE」あたりから「CMC」「DIS]
「GOOD DREAMS」にかけての不安定さは、当時の自分の心情に
あっていたのでしょうか、LPやCDを聴かなくても、一曲一曲頭の中に
浮かんできます。

コンサートは、84年の赤坂のラフォーレのライブに初めて行きました。
ただ、あのときは、大江の眼を見ていると、「この人はもう違う世界へ
いってしまったな」という気がして、複雑な気持ちで帰ったのを覚えています。
それ以降はあまりルースターズを聴かなくなりました。

その後は花田・下山のROOSTERZを観に、一度だけ芝浦のインクスティック
には行きましたが、ずいぶん変わったなあという気がしました。

あのとき、どうして大江が不安定になっていったのか理由は知らないのですが、
そのぎりぎりのところで編み出した詩、音楽は秀逸ですし、今後、
同じような音楽を作り出せるバンドは出てこないでしょう。
やはりルースターズは「孤高のロックバンド」です。

大江さん、お元気ですか。 たまには世の中に顔をだして下さいね。

 

大江慎也ルースターズに関する私の記憶 / akikoさん (1999.02.02)

私が始めてルースターズ大江慎也の名前を知ったのは、83年ごろに雑誌か
何かに載っていた作家の松浦理恵さんのインタビューを読んでいる時でした。
(私は別に松浦さんのファンだったわけではなく、偶然読んだ記事でした。)
松浦さんがその当時気に入っているものの中にルースターズがあり、
大江慎也さんと結婚したい、みたいなことを言っていたと思います。
その記事の片隅に載っていたa-go goのジャケットの写真から何故か
目が離せなくなったことを憶えていますが、その時はそれっきり
ルースターズのことも大江のことも忘れてしまいました。

同じ頃、ラジオのオーディオ製品のCMでルースターズのvenusが使われていて
「誰の曲なんだろう」といつも思いつつも、そのうち忘れてしまいました。

大江がルースターズを脱退した時も、そのころは別にファンだったわけでは
ありませんが、雑誌の記事を、何故か読んでいます。
大江が(多分アマチュア時代)楽屋かどこかに高倉健(だったと思う)の
写真かポスターを飾っていたこととか、大江が花田をルースターズ
入れたのは顔が良かったから、とか、そんなことが載っていたように思います。
肝心の大江の脱退の理由に関しては、体を壊したから、というふうな
あいまいな記憶しかありません。

その後、KAMINARI発表の前後に、友人から「これ聴いてみて」と
渡されたのが、φphyでした。
その1曲目を聴いたとき、「あ、あの曲だ」とそれまで忘れていたことが
1度によみがえってきました。 
それからは大江時代のルースターズにハマリまくってしまったことは
言うまでもありません。
その友人とは「大江慎也は凄い詩人だ」と意見が一致しました。
それと平行して花田ルースターズもやっぱり好きだったので
よく聴いていました。 
そのころ雑誌のインタビューで下山が花田の悪口(?)を言っていて、
思わず下山が好きになりました。(でも花田も好きでしたよ。)

ルースターズは最後のアルバムfour piecesをレコーディングする時から
すでに解散が決まっていたと、花田が言っていました。 
そのfour piecesのアルバム評で「花田も下山も歌が上手くなった」と
雑誌に載っていて思わず笑ってしまいました。

ルースターズが解散した時は、すでにルースターズ大江慎也という式が
出来上がっていたので、やっぱり、という感じであまりショックでは
ありませんでした。 
当時、ちょうど受験生だったので、解散ライブに行けなかったことが
とても残念でした。
解散ライブで、最後までルースターズに残り、ライブでも何曲も歌った
花田に対してよりも、CMC1曲だけを歌った大江に対する拍手のほうが
大きかった、という記事を読んで「花田さんかわいそう。
でも仕方ないよな。」と思いました。

私が大江のソロを聴くようになったのは、ルースターズが解散してからでした。
peculiar発表後、ポートレイト時代のものも、いくつもレコード店
探しまわってみつけました。 
そのころから音楽雑誌をまったく読まなくなったので、大江に関する
情報も(もともと少なかったのですが、)全く入ってこなくなりました。 
それでも、レコード店に行くたびに大江慎也のコーナーをチェックして
いましたが、will powerを見つけてからは音沙汰がなく、
いつのまにかチェックすることもしなくなっていました。