■ルースターズへの思い入れ / 伊藤さん (2000.08.05)
ルースターズの曲を初めて聴いたのは、1982年の暮れ、
ラジオでかかった「ニュールンベルグでささやいて」だった。
以後、毎年聞いていたその年末のFM番組で、83年に「ディザイア」、
84年に「グッド・ドリームス」を聴いて、これはすごく好きに
なった(今でも大好き)。その頃、高3で受験期だった。
以後、ルースターズと再会したのは、平成になってCDレンタルが
花盛りとなった頃。
「ベスト」と「アンリリースト」をレンタルし、後者を聴いて
「初期のストーンズにずいぶん影響を受けているなあ」という感想を
持ったのだが、残念ながらそのテープは後で消してしまった。
今考えたらもったいない。
「アンダー・マイサム」なんて、ストーンズのよりかっこいいと
思っていたのに。
そんな私が、三度ルースターズと出会い、決定的に好きになったのは
99年の春、トリビュートCDが出た頃だった。
某音楽雑誌でルースターズの特集を読み、一発でルースターズの、
いや大江慎也の魅力にとりつかれてしまった。
この年の夏は、週1枚以上のペースでルースターズや大江慎也の
CD(レコード)を買い、まさしく「のめりこんで」いった。
出張先で偶然見つけた「インセイン」(ボーナス・トラックに
「バリウム・ピルス」等が入ってる昔に出たCD)を借りるために、
青森県にまで出かけたりした。
ふと気づいて見ると、ルースターズのCDを全部揃え、大江さんの
CDもライブを除いて全部揃えた。
ビデオも81年のアーリーライブ、84年のバラノイアックライブ、
87年の大江ソロライブと揃え、「爆裂都市」も見た。
全て永久保存版である。
この3つのライブと映画を見比べると、大江さんが別人のように
変化していっているのがよくわかる。
しかし、どれもいいのである。
大江さんという人は実に不思議な魅力を持っている人だと思う。
それは言葉ではうまくいい表すことができないのだけれど。
99年の暮れ、久しぶりにメディアに出た大江さんのインタビューを読んだ。
ものすごく痛々しく、「新しくファンになった私のような者のためにも、
ぜひ再び音楽活動をしてほしい。」と思っていた私は、ルースターズ後期や
ソロの作品の多くが、大江さんの内部の血みどろの戦いの中から生まれた
ものだと確信した。
今でも私は、ルースターズをよく聴いている。
たぶんこれからも一生。
単なる音楽にこれほどのめり込める出会い方をしたのは、小6の時の
ビートルズ、中2の時のローリング・ストーンズ以来であった。
30歳を過ぎてこれほど好きななものに出会えて、
大袈裟ではなく「生きていて良かった。」と思っている。
今年の6月、柴山俊之さんのバースデーライブに行き、初めて花田さんと
下山さんも生で見た。
アンコールでこの2人のギターをバックに歌っている柴山さんが、
一瞬大江さんに見えた。
「この3人が現役でがんばっているのだから、大江さんも健康であったら
ここにいたばすだ。」と思うと感慨ひとしおだった。
この夏は、最近入手した数年前の音楽雑誌の中で、花田さんが
「70年代のクラプトンをよく聴いていた」とインタビューに
答えていたのを読み、クラプトンもよく聴くようになった。
とにかく、ルースターズとの再会によって、確実に自分の世界が変わった。
これからも、一生聞き続けることにななると思う。間違いなく。