大江慎也&The Roostersの軌跡

その昔、ルースターズというバンドがあって、SからZに変わって、大江さんが復活して・・・

ルースターズ・・・ (2000.10.24)

ルースターズ・・・ / 百合さん (2000.10.24)

ルースターズそして大江さんのことを今でもこんなに熱く支持してらっしゃる方がたくさんいるのには驚きです。
とても嬉しかったです。
私は大江さんが脱退したあとのルースターズはいっさい聴いていないのである意味狂信的なファンだったような気がします。(大江さんの)

ルースターズのファンをやめてから洋楽ばかり聴いていたので大江さんがソロででていたのも全く知りませんでした。
数年前から邦楽に戻ってきて(笑)再販のCDを聴いてやっぱりルースターズを超えるバンドはないなと実感してしまいます。

私がルースターズを知ったのは1stが出た頃です。
当時まだ小学生でしたが高校生だった姉が、友人のお兄さん(井上さん)がやっているバンドがデビューしたとかいって聴いていたのです。 
その後姉より夢中になってしまって81年以降の地元北九州のライブにはほとんど行ってると思います。

その中でも特に印象に残ってるのが82年頃のヤマハホールでしょうか、地元だったのですごい人気でみんなが前に押し寄せて特設のステージの床が抜けてステージが崩壊してしまいました・・・・ 
最前にいたので怖かったですが、幸いケガ人もなくその後なんとかステージを復旧してみんなおとなしく座ってライブが再開されました。
とはいってもイスのないスタンディングライブだったので床に座ってました。
後にも先にもあんなライブはありません。

大江さんの想い出というと、よく出待ちとかしてサインもらったりしてました。
あのオドオド口調でぼそぼそと「宿題はちゃんとするように」とか意味不明なことを言って笑わせてくれたり・・・・
中学生になってからの私は学校もサボリがちて地元バンドのライブばかり行っててライブのない日も小倉のBOXにいりびたってまして。
いりびたり組にはUP BEATを結成したばかりの広石君なんかもいました。
私もバンド始めたばかりで・・・・

ルースターズのメンバーが帰郷してる時、井上さんと花田さんはよく顔をだしてましたが大江さんに会えたのは1回だけです。
大江さんって独特のオーラがあって気軽には話しかけれない感じでしたが、なんと私のところに来て「バレーボールしよう」って・・・・
何故かホ゛ールがあって客のいないライブハウスの中で1分くらいですけど2人でバレーをしました。
結局「ここじゃできんね」といってすぐやめました。
今でもあれは何だったんだろうって感じです。