大江慎也&The Roostersの軌跡

その昔、ルースターズというバンドがあって、SからZに変わって、大江さんが復活して・・・

新宿ロフト 3days(1983.8.17)

■ありがとう。 / 太田さん(2001.07.27)

ロックに目覚めた15歳ごろから聞いていたバンドです。
いわゆる「博多めんたいビート」といわれていた音を中心に聞いていました。
ただヤリたいだけの15の頃
でも恥かしくて女の娘に声など掛けられなく、一人でアレをするしかなかったあの頃
ルースターズの疾走感が、ビートが、やるせなさが、とても心地よかった。

ただ心残りがひとつ。
ほぼリアルタイムで聞いていたのだけれど、初めて足を運んだライブがニュールンベルグ発表後、活動休止明けのロフト3DAYS(こちらのツアー史で確認させてもらいました)
空調の壊れたロフトでそれこそ水浸しでみたライブなのですが、最大の楽しみだった池畑のドラムがきけなかったのがまずひとつ。
日本で一番のロックドラマーは今でも彼だと思っています。

この時は大江慎也はまったくMCもせず、ただただぶっきらぼうに歌っていた初めてだったのでこういうスタイルなのかなと思っていたのです。
その後ライブは少しご無沙汰していました。
池畑脱退が相当ショックだったので。
ただアルバムは聞き続けていました。
ただ体をゆすれればよかった10代中盤から少しはモノを考える10代後半にかかるにつれルースターズも「DIS」「GOOD DREAMS」とあたかも自分の心の変化に合わせるかのように変化していったのがとても波長があったから。

そしてその頃に2度目のライブ。
そこに立っていたのは、すでに痛々しい大江慎也でした。
病気のこと、今も当時もよく知らないのだけれど何かにおびえるかのように歌う彼をみた時に残念ながら、もうライブには行かないだろうなと思ったのでした。
その後に出た「ファイ」もアルバムを買っているし、好きなのだけど、やみくもに突っ走る初期の頃の彼ら。
リアル体験をしていながら、リアル体験ができなかった、そんな心残りのあるバンドです。

その後解散してしまってから1年ぐらいの頃だったか、当時、生活していたロンドンのコベントガーデンで花田氏を見かけたことがあり、あまりのうれしさに「バンドやりに来たんですか?」と声をかけてしまったんですが、突然異国で声を掛けてきた若造を胡散臭そうな目で見つめる花田氏にそれ以上声を掛けることはできませんでした。
ただ当時日本のバンドで心焦がされるバンドがなかったのは確かで、かっこいいロックバンドをまた彼らが始めてくれること、とても期待していたのです。

このページを訪れて以来、またルースターズを繰り返し聞いています。
いまだ色あせないですよね。
CDの再発の件も初めて聞きました。まだ手にはいるのでしょうか。
探してみようと思います。
全国にこんなに思いいれの強い方々がいること。
とてもうれしく思います。