大江慎也&The Roostersの軌跡

その昔、ルースターズというバンドがあって、SからZに変わって、大江さんが復活して・・・

「大江慎也に関わった3人の男について」考 (1997.9.19)

■「大江慎也に関わった3人の男について」考 / 竹田さん (1997.9.19)

私はちょっと視点を変えて、大江についてではなく、大江が音楽活動をする上で関わった3人の人物について語りたいと思います。
なお、この3人を選んだのは完全に私意によるものです。
あしからず。(^^;

1.池畑潤二
ウムム、怪物だ(By 山名昇)。
81年の夏に初めてこの人のドラムミングを目の前で見た時から、ドラムに対する考え方が変わりました。
大江も早くから、この中学時代の同級生の才能には目をつけており、高校時代に結成したバラ族からルースターズがデビューするまで自分のBandに引っ張りこんでます。

人間クラブ解散後、ハイスクールというBandをやるがうまくいかず、再び花田、井上を巻き込むのに、「池畑もいっしょだから」という口説き文句があったと聞いてます。
大江の音楽的指向と池畑の爆裂ドラミングがマッチングして、歴史的名盤が生れております。
「ニュールンベルグでささやいて」です。
当時、こんな音を出すBandが日本で存在したというのは奇跡だと思います。

大江はこの頃、ジョン・ライドンを意識しているとよく発言していましたが、PILにも十分対抗しうる説得力がある(ミニ)アルバムでした。
たった4曲入りなのに、密度の濃さは発売したアルバムの中ではNo.1です。

その後、ますますオルタネイティブな指向を深める大江の音楽性に「ついていけなくなった」と脱退する訳ですが、彼の才能は大江によって引き出された面も大きいのではないでしょうか。

2.柏木省三
今となっては、この人にはあまりいい印象はありません。
確かにルースターズを表舞台へ引っ張り出し、Bandの初期においてはレコーディング等にアイデアを提供、アルバムそれぞれにカラーをつけた功績は認めるところです。
(でも、「Radio上海」にしてもあまりセンスがいいとは思えないのですが・・・)

大江がソロになった頃から、どうも商売っ気ばかりが目に付きだしました。
ファン心理を逆手にとったような未発表音源を発売したり、ソロになった大江を操り人形のように扱っていたりと…。
(ちょっと、言葉が悪いですが)

大江の良き理解者だったとは思うのですが、プロデューサーという立場を考えれば、少しでしゃばり過ぎたというところでしょうか・・・。

1984のLive後のサイン会で、うつむいたままの大江に対して、「握手くらいしてあげろよ」と命令(?)する姿を見て、ほんとに嫌悪感を感じてしまいました。

現在、充電中の大江が仮に復帰する事があるとすれば、彼の手に染まらずにシーンに戻ってくる事を切に望んでおります。

3.下山淳
最後はちょっと意外ですか?
1984からルースターズに加入した訳ですが、大江との共同作業自体は少なかったと思います。

山形出身という事が関係あったかどうか分からないが、下山は大江をかなり客観的に捉えていたようでした。
それは、花田が大江を見ていた目とは明らかに違うものでした。

下山はルースターズ後期の大江の状態には、相当いらだちがあったようですが、仮に病気前の大江と火花を散らせて、曲作りをしていたらどんな音が出来たのだろうかと想像してしまいます。

「DIS」は大江色満開のアルバムですが、下山はまだサブ・メンバーという位置づけで、音の主張が強く感じられません。
また、「Phy」は下山と花田の共同作業で生まれた名作でありますが、大江の存在はこれまでの中で一番薄いと感じております。
(「Good Dreams」もありますが、どうも寄せ集めという感が強く、トータル的なアルバムとしては考えにくいのです)

ただし、下山の場合は音の「骨」を作ることより、「肉」づけを得意とするタイプだと思われるので、2人で作業したとしても、結局は大江色の強い曲が出来ていたかもしれません。

ルースターズの一番しんどい時期を真正面から受け止めていた苦労人でもあります。