■ルースターズありがとう / 井上さん (2000.03.13)
私は正直に申し上げてルースターズの事、ほんの少ししか知りません。
それが分かっててもこのメールを書かずにいられなかったこの気持ち、誰か1人でも、分かってくれたら幸せです。
なぜこのホームページを開くにあたったか。
初めて買ったパソコンで、一番に検索してみたかったこと。
「THE FUSE」という言葉。
今26才の私が高校生の時に生活のスベテ、といってもいいほど胸を焦がしたバンド。
検索したら、ここにたどり着いた。
ホコ天から、爆発するようにデビューをして、そのホコ天という性質柄、タテノリで、水玉で、ラバーソールで、対するは思春期の女の子たちで。
音楽、というより若さと勢いの塊、そんな若者4人のバンドのボーカルであり頭脳であったのがボーカルの塩崎太久茂という人。
どきどきしながらゲリラライブを見に行ったこと。
アルバムが出る度、勢いより「音」が「声」が、どんどん格好良くなって嬉しかったこと。
何よりライブで彼らと一体になることで嘘ばかりの毎日の生活から抜け出ること。
本当の自分に戻れること。
18才の私の生活の起伏は、FUSEにあった。
バンドブームという名前はブームが去って行くと共に世間から消えてしまった。
FUSEはバンドブームが終わったからブームから出てきた自分達も消えてしまうという最悪な終わり方はしたくない、といっていたような気がする。
次のブームという大きな黒い波は、もがく彼らを飲み込んで消してしまった。
私は気づいていた。
塩崎が時折口に出していたルースターズ、というバンド。
自分が作ったFUSEというお城がもうすぐ崩れてそしてなくなる事を知っていた塩崎はそのライブでガールフレンドを歌っていた。
今までも何度か彼が歌うこの曲を聴いたことがあったけれど、その日はとても切なかった。
乗り移ったように、歌っていたけれど泣いているようだった。
FUSEが解散して7年が経って、私も26才になった。
大学に行って、OLになって、色んなことが沢山あって、聴く音楽も随分変わった。
でも、ルースターズを愛する皆さんがそうであるように、そして塩崎さんもそうであるように、私も今もFUSEのCDを傷だらけで音が飛ぶけれど、聴いているんだ。
もう、一生出会える事はないと思っていた。
そしたら、塩崎さんが、私が好きだったTAKUちゃんは、大好きなルースターズのページにメッセージを残していた。
突然こんな長い私話をしてしまってごめんなさい。
みなさんのメッセージの中に塩崎さんのコメントを見つけた時は、長年のつかえが下りたようで泣けました。
これからもルースターズを勉強させていただきます。
どうもありがとうございました。